今日も主食はカロリーブロック

ラブライブ!やラブライブ!サンシャイン!!に関することを、時折思いつきで書いていこうと思います。

桜坂しずく「Solitude Rain」歌詞のこと。

はじめに

 こんにちは、ぶろっくです。

 月2本くらい記事にできればいいなって思っているけど、どうでしょうね。

 色々書きたいネタはあるのです。

 

 アニガサキとスクスタって、ストーリーこそ違えど、根っこの人物像は結構近いと思っているんですよね。

 ラブライブ! というシリーズは媒体を跨ぐと人物像が大きく変わることも多いんですけど、虹ヶ咲は「状況が違うから見えた別の側面」という印象が強い。*1

 というのはしずくに関しても同じことで。スクスタとアニガサキでは「演じること」に対しての考え方が違っているように見えるしずくですが、私の印象としては、特にそんなことはなくて。


【限定公開】Solitude Rain / 桜坂しずく(CV.前田佳織里)【TVアニメ『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第8話ダンスシーン映像】

 

 

これはもう正直に白状しますけど、第8話、いまいちピンと来なかったんです。

アニガサキ第8話「しずく、モノクローム」のこと。 - 今日も主食はカロリーブロック

 演じることか素直でいることか、みたいな対立のお話ではないはずなんですよね。

 しずくにとって、演じることは何より大切なこと。

 それってむしろ、この曲で改めて歌われていることじゃない?

 なんてことを考えながら、「Solitude Rain」*2の歌詞を読んでいこうかなと思います。 

k-block.hatenablog.com

 (アニガサキの記事もよろしければ。)

 

歌詞

雷鳴が胸に鳴り響いて

閉じ込めていた感情が溢れ出していく

もう見失ったりしない

私だけの思いを

 そこも歌詞なんですか!?(驚愕

 こういう台詞部分って歌詞に含まれないことも多いのですが、しずくの場合はこういう部分も込みで曲の世界観なんですよね。*3

 ここでの「雷鳴」はかすみのパンチ、というか教室でのやりとりでしょうか。

 で、その中から「感情が溢れ出して」という言葉は液体のイメージですね。しずくだけに?

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 歌詞から想像されるしずくの心は、こんな感じ。

 この外壁(つまり仮面)のところにヒビが入って、感情が溢れてきたと。

 それによって中を覗けるようになったので「もう見失ったりしない」という歌詞になったのかな。

 

天(そら)から舞い落ちる雨粒が

ぽつり ぽつり 頬伝って

 雨粒が何を指しているのかは、大雑把にふたつの解釈で良さそう。

自然の雨:うまくいかないことの隠喩

 彼方のButterflyでも同様のニュアンスで雨が扱われていました。

“Rainy day”にはたんに雨降りの日という意味もありますが、順調でない時のことを表現する言葉でもあります。

「Butterfly」の歌詞のこと。 - 今日も主食はカロリーブロック

 これは上手くいかないときという表現でもありますが、虹ヶ咲の文脈では同時に雨上がりの虹を期待させるものでもあります。

しずくの涙

 どちらかというと、こちらの解釈が本筋かな。

 先ほど溢れ出した感情が、雨粒(=涙)という形で溢れてきた、という読み方。*4

 位置的にも涙なら頬を伝うのは自然です。しずくの心から溢れるのが涙というのも、「名は体を表す」という感じがして、しっくりきますね。

 

知らないうちに

心 覆っていた仮面を

そっと洗い流していくの

 この歌詞は面白くて、「知らないうちに」が同時に二重の意味を取ることができます。

 つまり、

・知らないうちに、仮面が心を覆っていた

・知らないうちに、仮面を洗い流す

ということ。

 しずくにとって、「仮面が心を覆うこと」は自分の意図したことではなかったのだと思います。二番に出てくる歌詞ですが、「仮面が心を覆うこと」とは自分を「偽る」ということです。

 さて。かすみによってヒビの入った仮面なのですが、その仮面を洗い流すのは雨粒、つまりしずく自身の涙。堰き止めていた感情が溢れ出すことによって、仮面が流されていく。

 この歌詞によって、しずく自身は自分を偽りたくないと考えていたことが、何と無く分かります。

 

胸の奥 変わらない

たったひとつの思いに

やっと気づいたの

 仮面が流されたことで「思い」が見える、という歌詞はここですね。

 この「たったひとつの思い」、つまりしずくが「偽りたくなかった」のは、一体どんな思いなのか。そのヒントになる言葉は、

しずく「私、小さい頃からずっと、昔の映画や小説が好きだったの」

アニメ「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」第8話より

ここですね。

 しずくにとって、偽ってきた「好き」の原点はここでした。けれど、その「好き」を表現することが怖くて、それで偽ること、つまり演技を始めた。

 一方で彼女が「演劇」を始めた理由は、そこでは偽る必要がないからでもあったのでしょう。古典の映画や小説を好きでいい、それが演劇の世界。しずくが最も自分らしくいられる場所です。*5

 だから、この歌詞でしずくが確認した「思い」は「自分の思い通りに、好きなことを表現していいんだ」ということです。感じるままに演劇をする、と言い換えてもいいかもしれません。

 

目覚めてく 強く

裸足で駆け出していこう

どんな私からも逃げたりしない

 虹ヶ咲に限らずラブライブ!シリーズで、キーワードのひとつに「夢」というのがありますが。

 逆にこの「目覚めてく」というの、結構強いシーンの印象がありますよね。タイトルだとサンシャイン!!の「Awaken the power」や歩夢の「Awakening Promise」がそうですね。*6

 どちらも「現実を受け入れて、自分を信じて前に進む」というニュアンスのシーンでしたから、この曲で使われるのも納得の歌詞です。

「裸足で」というのも、傷つくことを恐れないという雰囲気を感じさせるので、「逃げたりしない」とあいまって力強さを感じますね。

 

迷いも不安も全部

ありのまま抱きしめたなら

まぶしいあの空へと 飛び出すよ

 しずくの「ありのまま」というのは、ここまで触れてきたように「感じたままに表現する」ということでした。

 これまでしずくの表現を窮屈なものにしていたのは、「人に受け入れられるような表現をしないといけない」という思い込みゆえでした。*7しずく自身がみんなに受け入れられる「キャラクター」でなければならない、という思い込み。

 けれどかすみの肯定によって、しずくは「みんなに好かれる普通の子」というキャラクターから解放されます。その結果として表面化するのは、おそらく「古典の演劇や小説が大好きな本来の桜坂しずく」なのでしょう。*8

 

本当の私と向き合うこと

ずっとずっと怖かったけど

 璃奈やかすみとの会話にもあったように、しずくが演技(偽ること)を始めたきっかけは、みんなに好かれて楽になるためでした。おかしいと思われないため。嫌われないため。

 けれど、「みんなと違うものを好きになる自分がおかしいんじゃないか」と、自分で自分のことを好きになってあげられなかったこともしずくを苛んでいたのでしょう。

 

私じゃない完璧な誰かには

もうなれなくたっていい

偽るのはおしまい

 で、ここの歌詞がややこしいんですけど、これは「もう演じない」という歌詞ではない

 完璧な誰かになろうと偽っていたのは「しずく自身をどう見せるか」という話ですよね。演劇の中で役を演じるとか、そういう話とは全くの無関係。

 もし関係があると考えるなら、演劇でしずくが演じる対象が「完璧な誰か」である必要がある。

 ただ作中で描かれていたように、今回しずくが「荒野の雨」で演じる人物は、全く完璧ではない人物でした。むしろ、完璧でないからこそ演じることが難しかった。

 

絶え間なく 溢れてる

私だけの思いを

もっと紡ぎたい

 完璧ではない桜坂しずく。彼女がありのままを紡ぐというのは、どういうことなのか。

 これはちょっと、感想を言ったりブログを書くのにも似ています。

 私と、例えばこれを読んでいるあなたが同じアニメを見たとします。アニガサキがわかりやすいでしょう。

 私が持った印象と、あなたが持った印象は、多分違うはずです。

 私は毎週ブログを書いていましたが、それを読んだあなたが全く同じ印象をアニメから抱くかといえば、違うでしょうし。もっと言えば、あなたが感想をどこかに書いたとして、一字一句私と同じにはならないはずです。

 

 これがしずくにも言えて。

 好きなものから抱いた感情をどのように紡ぐのか、というのは桜坂しずくにしかできない表現なのです。その表現の形が、彼女にとっては演劇なんですね。

 逃げの手段であった演技を「好き」を表現する方法にしてしまっているあたり、本当にしずくは演劇が好きなんだなあって感じますね。

 

煌めいて 強く

この目を見つめて欲しい

どんな心からも逃げたりしない 

 で、表現というのは人に見てもらって初めて成立する。

 受け手だったしずくが解釈して、その上で表現する世界を、またそれを見た人がどういう風に解釈するのか。そのやりとりがあって初めて完結するんですよね。

「煌めいて」は自分に対してでしょうか。弱さ、不安、そういったものがあるからこその輝き、というのはかすみを見て感じるものでもあったのかもしれません。

 教室のシーンで、しずくがかすみから受けた印象は、自信だけではないと思うんですよね。自分が受け入れてもらえない時の不安だとか、戸惑いだとか、そういうものもひっくるめて、今目の前に輝いているかすみがいる。

 しずくも、彼女なりの在り方で、かすみのような輝きを手にしたいと思っているのかもしれません。

 

怖さも弱さも全部

こぼれ出す声にのせたら

まぶしいあの空へと 奏でるよ 

「こぼれ出す」という表現と「怖さも弱さも」というのが、ちょうど冒頭の心の動きとリンクしていますね。

 閉じ込めていた感情を、今度は自分から奏でる。やっぱり好きって言ってもらえることって、自信になるんですよね。

 好きなものを偽っていたしずくが、それでも演劇を始めて、ここまで続けてきた。それも「好きが堪えきれずにこぼれていた」っていうことでしょうし、となるとやはり、彼女にとって演じることこそ「ありのままの私」なんですよね。

「まぶしいあの空」というのも、雨が上がりそうな空だから虹が見えそうでいいですね。

 

世界で一人きりの

私になる覚悟なら

できているから

その瞳に映して 

 ここまで読んでいただければ、この歌詞が

「世界中で、ありのままの私にしかできない表現をする」

という意味合いなのは、なんとなくご理解いただけるでしょうか。

 誰かに合わせるしずくではなくて、桜坂しずく自身として生きていく覚悟、ということですね。

 桜坂しずくが表現したいものを全力で演じるから、そこから何かを感じ取ってほしい。そんなニュアンスでしょうか。

 

私の色で 私だけのリアルで

あなたの心に触れたい 

 という、ここまでの前提を全肯定してくれるかのような歌詞ですね。

「あなたの心に触れたい」というのが、まさに自分の表現から何かを感じ取ってほしい、極めて雑な言い方をすれば「感動させたい」ということ。

 そして、そんな女優になりたい、ということですね。

「私の色」「私だけのリアル」がそもそも演劇と密接な関わりを持つ以上、ここを無理に演劇と切り離して「演技(全般)を否定する」というのは、ちょっと無理があるなあと。

 

目覚めてく 強く

裸足で駆け出していこう

どんな私からも逃げたりしない

迷いも不安も全部

ありのまま抱きしめたなら

 ここまでは一番サビと同じですね。

 これは歌詞と何も関係のない話なのですが、アニメに登場した一番の終わりがすごく綺麗に「スンッ……」と落ちたので、いわゆるCメロ的な前のパートか、このパートのどちらかが、その「スンッ……」と連動するような静かなシーンになるのかな〜とか思ってましたね。そんなことはなかった。

 

まぶしいあの空へと Ah 飛び出すよ

じきに雨が上がる

“Hello, This is me”

 さっきから「雨上がり」の話をしていたのですが、やっぱり雨が上がったなあ……という印象。

 しずくはスクスタや分室でも青空の描写があったのですが、雨上がりって似合いますね。可愛い。

 

 しずくは「本当の私ってどこにあるの」というタイプの子でもあるわけなのですが*9、そのひとつの答えを見つけたんだよ、というのを示唆するのがこの歌詞ですね。

 Thisというのは文頭にはないので、別に大文字で始まる必要はないんですよね。だからこれはThisを強調したいのかなっていう印象。

 振り返ると、雨っていうのはさっきの心の図*10でいう「感情」のところにも関わっていました。雨=しずくの涙っていうところね。

 これが上がるということは、その奥にあるしずくの「思い(This)」がしっかり見える状態になる、ということでもあるのかな〜。

 

終わりに

 心の形とか、そういうふわっとしたものの話は難しいですね。

 なんだか、何回も同じ話をしてしまったような気がする……。

 

 ともかく、偽ることと演じることはどっちも否定されたっていうわけじゃなくて、そこを整理しながらしずくの「好き」を見つけてあげたら、彼女のことをもっと好きになれるんじゃないかなって思います。私が。

 

 そう。このブログ、私が好きなこととか、分からないから考えてみたこととか、そんなんばっかり書いている。まさにThis is me.という感じ。

 本当はこう、もっと「人に読ませる内容とは」とかを常に意識したほうがいいんでしょうけども。実践できるのは、たまにです。

 ま、私にとってはあくまで趣味の範疇ですから。私が楽しい以上のことはできないので、「いや、物足りん!」とか「私の方がマシに書ける!」とか「そんな感じでいいなら」とか、思う方がいたら是非書いてみてください。

 彼女たちの視点を考えるの、楽しいですよ。

 

 

ぶろっく

*1:長い余談ですが、これは例えば愛なんかがそう。楽しいことが大好きで、できるようになるのって楽しくて、結果的に彼女自身は結構ストイック。というのは、スクスタでもアニガサキでも同様でした。

 同好会の仲間との絆は簡単に壊れないと思っているし(現に璃奈とはスクスタメインストーリーで、現在も行動を共にしている)、その上で「同じ虹ヶ咲のスクールアイドル好きで、かつ凄い能力を持っている」というランジュともいい関係を築こうとしている。どこまでいっても愛は愛だなあ、と感じさせられるわけです。

 ……まあ“部”を悪と断じてしまう方には彼女が薄情な裏切り者に見えてしまうのかもしれませんが、というかストーリー中でもそういう言われ方をしていますが、愛から見たランジュがどういう存在なのかを想像すれば、自ずと愛の行動も、結果的に自然な選択だったといえるでしょう。というのが私の視点なのですが、この記事とはあまり関係のない話なので、詳しくはどこか別の記事で、ランジュに関してお話するときにやりたいですね。

*2:作詞:Ayaka Miyake 作曲:鈴木エレカ、JOE 編曲:JOE

*3:もっと言うと「これは絶対にアドリブではない」ということなので、読み解きの上では他の歌詞の世界観と連動させることができる。同じ作者が意図的に入れているわけですからね。

*4:心の在り処を論じると色々な言い方ができるのですが、ひとつの解釈としてその中心が「脳」である、という考え方があります。

 もし「天」が心=脳を指しているなら、心から落ちる雨粒といえば、涙だといえそう。

*5:しずくが演技を始めた理由と演劇を始めた理由は微妙に違う、ということですね。璃奈に聞かれて答えたのは前者。ただ、璃奈は後者を聞きたかったような気がして、なんだか少し食い違っているかもしれません。

*6:というか、「強く」が「パワー」を連想させますよね。

*7:そして、それは一般的には正しいことが多い。相手がどう感じるかを考慮しながら表現することは大切だし、常に無遠慮であっていいということにはならない。

*8:我々の視点からはどうしても「桜坂しずく」をキャラクターとして見がちですが、「もっと複雑な心を持っている、いち人間としての桜坂しずくとして振る舞う」ことが、しずくにとっては課題だったわけですね。キャラという枠を超えてしずくのことを見ることができるかどうかが、彼女のことを感覚的に納得できるかどうかの境界なのかな、と勝手に考えています。

*9:演じることって「自分らしくないこと」にも繋がりがち。だからこそ、自分らしさと演じることを同時に肯定する第8話とこの曲が大切なんですけども。

*10:こいつね。

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