今日も主食はカロリーブロック

ラブライブ!やラブライブ!サンシャイン!!に関することを、時折思いつきで書いていこうと思います。

「チェリーボム」のこと。

はじめに

 こんにちは、ぶろっくです。

 もはや「どちら様?」と言われかねない、というか言われて然るべき更新頻度です。

 一応自己紹介をしておきますと。

ラブライブ!シリーズを中心に自分の楽しいことを、ブログや二次創作、曲作りその他好き勝手にあれこれする人」

という感じになるのかな。

youtu.be

 今回の内容はこちら。

 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 5thアルバム「Fly with You!!」より。

 優木せつ菜(CV.林鼓子)の「チェリーボム*1です。

 この曲が、まあ良くて。

 てなことで。

 この曲の気になったところを、ちょこちょこ切り取りながら考えてみます。

 紹介順は、まったく歌詞の順ではありませんので悪しからず。

 

 前提として、スクフェス2のストーリーはまだ確認していません。

 曲だけから読んだ部分を残しておいて、後から個人的に確認しに行きます。*2

“Calling”

 個人的に、歌い手が「相手」と「自分自身」に叫びかける曲だと思っています。

 好きな相手に歌った曲だというシンプルな見方については、あえて紹介しなくてもいいかな?

 

呼んでくれさえすればいいのに

Calling me ほんとじれったいよ

Calling me 今すぐ届け

 そもそも“Call me”と書けば「私を呼んで」という命令文になるんですよ。

 これをあえて“Calling me”としているのは、

1.「私を呼ぶ(ということ)」と名詞の意味で使っている。

2.頭に“I am”や“You are”が隠れており、「今もう私を呼んでいる」が本来の形である。

ということなのかな? と個人的に想像しており。

 

 前者の場合、2番の歌詞は意味が通りやすくなりそう。

Calling me わかってるはず

Calling me 簡単なこと

なんたって君に会いたいだけ

 君に会うために必要なことは、私(せつ菜)のことを呼ぶことだけ。

 だから、あなたは私を呼んでください。

 そんな歌詞に読めますね。

 

 後者の場合、「今まさに呼んでいるところだ」ということになるので、「呼んでくれさえすれば」の歌詞と相違があるように感じます。

 呼んでくれって言うからには、まだ呼んでいないはずですからね。

 

 でも、これが優木せつ菜自身に呼びかけている*3としたら?

 焦ったく動き出したい自分の内面と、燻りながら動き出していない外面と。

 好きを「諦める」という選択肢を頭の片隅に置いてしまえる彼女だからこそ、こういう状況で自分に叫びかける心象というのはイメージしやすい気がしますよね。

はやる鼓動が 何よりも証拠です

理屈や理論じゃ

恋というやつには 通用しないみたい

 内側の自分が外側の自分に対して「こんな気持ちの前じゃ、押さえつけようとしたって無駄なんだから!」と訴えかけ、今まさに殻を突き破ろうとしているような。

 踏み出したいせつ菜としても、自分のそんな内側の爆発を待ち望んでいるからこその「呼んでくれたら」かもしれません。

 

 恋愛という見方が第一とは思うのですが、そもそもラブライブ!の歌詞においては「『恋』がスクールアイドル(活動)のことを指している」というケースがありますし。

 もしかしたらこの曲も、「ステージに立ちたくてたまらない優木せつ菜」をラブソングというフォーマットで表現し直した、自己紹介ソングでもあるのかもしれません。

 そんな印象を、個人的には受けましたが、果たして。*4

 

ふたつの果実

想いが想いが想いが想いがヒート!

恋の恋の味

素直になって欲しいだけ

未熟なふたつの果実

想いが想いが想いが想いが想いがブリンク

Oh! チェリーボム

 ここでの「果実」は、チェリーを自分と恋愛対象の相手に見立てている印象。

 ただ、先ほどの「今、呼んでいる相手は自分である」を念頭に置くと「ふたりでひとつの私自身」という、つまり自分自身のことを指して「チェリーボム」と表現しているような気がします。

 そう考えると「恋の恋の」「想いが想いが想いが想いが想いが」と重なっている部分は、ふたりのせつ菜*5が互いに自分の気持ちに正直になって走り出していることの表現なのかなと。

 ステージ上にいる今の彼女は、彼女が持っている全てで「好き」を表現している、と。

 せつ菜には「スクールアイドルだけでなく、優等生の自分もみんなのためになる」ということを実感するようなエピソードがありますが*6今まで「本気系スクールアイドル」としてステージで魅せてきた優木せつ菜だけが彼女の全てではないのは、既にニジガクを追ってきたファンの多くが知るところとなっています。

 そんな彼女の全てをぶつける曲。アツい。

 

 ちなみに、ブリンクは「明滅」という意味です。

 自分と相手の二人が星のように瞬くという見方をしても美しいですが、ふたりのせつ菜がチカチカと光をあげながら爆発していく姿をアニメーションとして想像すると、バチバチにかっこよくないですか?

 

呼んでくれさえすればいい

 ここまでせつ菜が「大好き」を追いかける曲として見ています。

 が、もうひとつ忘れてはいけないのは「みんなが大好きを叫べる世界」がせつ菜の追い求める世界だということ。

手を伸ばせばすぐな距離

こんなに遠く感じるの

 

呼んでくれさえすればいいのに

…Oh Baby

Oh Baby!!!

Calling me ロケットみたいに

Calling me 今すぐ行くから

素直になって欲しいだけ

 それがいかに「ままならない」願いなのか、せつ菜は散々味わってきています。

 でも、そんな諦めが一瞬で塗り替えられることも知っている。

 いつかの自分に対する叱咤の曲でもあり、同時に眼前のファンに対しての激励でもあると。

 

 最初に取り上げた“Calling me”ですけども。

 せつ菜が自分に対して「呼んで」いたという解釈をしましたが、「以前の私」を「今目の前にいる“わたし”(観客である人物)」に重ねることもできる、と思っています。

 こう書くとこんがらがってきて、結局のところ誰が誰を呼んでいるの? という話になってきますけども。

 

「どんな自分も『大好き』で、自分と一緒にいてくれるみんなも『大好き』で、お互いのことを隠さず求め合っていられるようにしたい」

 

 これが優木せつ菜の「チェリーボム」からわたしが受け取ったメッセージでした。

 

おわりに

 ブログの書き方ってこれでいいんでしたっけ……?

 何か忘れてない?

(ちなみに、忘れているのは「はじめに」「おわりに」の書き方です。)

 

 まだまだ歩みを止めないニジガクの物語。

 劇場版も楽しみですし。もっともっとときめきたい。そんなアルバムでしたね。

 皆さんがどんなふうに曲を受け止めたかも、ぜひ教えてください。

 この曲だけは危ないと思ったけど、どうです?

 

 

*1:作詞:鈴木エレカ 作曲:鈴木エレカ、oni 編曲:oni

*2:2023/10/9/22:00追記:スクフェス2のストーリー1,2を視聴してきました。ランジュのおまじないによってか、せつ菜が夢に見たのは「自分に声をかけてくれない観客」そして「自信をなくしている自分自身」でしたから、そういう見方をすればこの記事の内容も、まあ悪くはないのかもしれませんね。

*3:“I'm calling me”で「私は自分を(大声で)呼んでいる」とする、という考え方。

*4:この解釈のいいところは、ラブソングに対して「ライブ会場で遠慮なく観客が熱量を全開にすること」がせつ菜に対する最高の“Calling”になる、ということです。

*5:焦ったくてすぐに動き出したい自分の内面と、燻りながら動き出していなかった外面

*6:「素顔のフォトエッセイシリーズ01 」収録「大好きな『大好き』」のこと。