はじめに
こんにちは、ぶろっくです。
今年も暑い季節がやってきますね。
先月、6月には関東でも真夏日が出ていて、季節感が狂いそうです。
今回は、大好きなこの曲の話をしてみますよ。
当ブログはじめての、「ラブライブ!以外の曲」です。
はい、「眺めの空」*1です。
こちらの曲はYou tubeの他、Acoustic CD〔bottled-up〕にも別アレンジが収録されています。
曲アレンジだけでなく、歌唱の違いも聴きどころ。
一緒に収録されている「クローバー」も大好きです。
どちらも歌詞を読むのが非常に面白い曲ですし、よろしければ手に取ってみてくださいね!(宣伝)
で、この「眺めの空」ですね。すごく夏!っていう曲。
この曲から受ける「きゅっ」っていう感情がね。可愛くて、大好きです。
いや、「きゅっ」ってなんだろうな。歌詞を読んだ方、聴いた方が感じることは違うけれど、私はこの曲の主人公に勝手にシンパシーを感じたんですよね。
ともかく、読んでいきましょう。
歌詞
(字を綺麗に書けるようになりたい。)
ぬるま湯に足首までつかって
1人静かに溶けたいだけなのに
歌詞全体を読むと夏の話。
ぬるま湯に足首まで浸かろうとしているのは、涼を取ろうということでしょうか。ちょっと足湯って感じはしません。流石にね。
本当は冷たいはずだったのかもしれない。でも、夏の暑さで温まってしまったのかな。
でも、そんな風に溶けることを良しとしています。
シャワーで流したいとかではなく、(多分夏の暑さに)溶けてしまいたいみたい。それもひとりで。
「いつものうだる夏を感じていたかった(けどできない)」という感じでしょうか。
溶ける、という表現も気になりますね。何かをリセットしたかったような空気を感じます。
なんでしょうね。夏、暑いじゃん。嫌じゃん。なんて、思いながら次。
氷ごと水をかけられちゃ
僕は隣(ここ)を歩くしかなくて
はい。ぬるま湯とは反対ですね。
夏の暑さを忘れるような氷水。それをかけられた(=いつもの夏を感じられない)ら、隣を歩くしかなくなる。
「氷水を(君に)かけられる→僕が溶けなくなる→隣を歩くしかなくなる」なので、きっと「僕」にとって、本当は隣にいるのが自分にとって自然なことだと、心の何処かで気づいているんだと思います。
でも、それを嫌がっている。溶けないで隣にいると、どうなるんでしょうね。
蝉の聞こえない裏路地
匂いのしない駄菓子屋も
こうなる。
氷水をかけられることは夏を忘れることでしたが、蝉も聞こえなくなる。
駄菓子屋の匂いは……何でしょう。
駄菓子屋と夏。ラムネ。いつもより濃い木と紙の匂い。ちょっとスルメの匂い?
そうか……確かに、駄菓子屋は夏に入るのが、一番匂いを感じるのかもしれない。というか、「夏の香り」を一番くっきり残しているのかもしれない。
それと、子ども心の象徴なのかもしれないね。夏の駄菓子屋の香りを感じられなくなることは、「自分が子どもでいられなくなり始めていること」の表れなのかもしれない。
さっきの「裏路地」も、そういう子どもの頃の近道なのかもしれませんね。同じ場所にいても、感じ方が変わってくる。
小学校、中学校の通学路、そういえばこっそり抜け道をつかったなあ。それを仲間だけで共有している、一種の背徳感。
それも暑かったなあっていう思い出と一緒に残っているけど、そこから数年後の夏の思い出は、そういったものを塗り替えていったのかもしれない。まあ、つまり恋をしていた夏のこと。
と、自分を思い返しながら思う。聴き手によって違うかもしれないけど、私はそう。
おまえのせいだってわかってんだ
僕の夏を返してよ
先ほどの歌詞の続き。
「おまえのせい」ということは、やはり今までの夏を感じられなくなる、かけられた氷水で夏が上塗りされてしまう、そういう感じでしょうか。
子どものままでいたかった、こんな気持ちを知りたくなかった。
曲を最後まで聞いてからもう一度歌詞を読むと「悪態ばかりついているけれど、主人公は『君』に恋をしてしまったのではないか」と感じるわけなのですが。
そうすると、この辺りの「夏を返してよ」なんかは、
・今まで強く感じていたものが霞んでしまうほど相手に夢中になってしまっている。
・その「好き」の感情で胸が痛い。
・その事実を認めたくない。あるいは、なぜ夏を感じられないのかまだ気づいていなかった。
という感じですかね。
そして、「なんで君なんだ!」という。理由なんてあるのか分からない、でもしないではいられない、やつあたり。
うーん……その上でのともりさんの歌唱だとしたら、もう胸が苦しくて「あ……好き……」ってなってしまう。
好きな人が恋に胸を痛めている姿をこっそり知ってしまって、こっちまで胸が痛くなるやつ。Youtube版は映像の相乗効果もあって……ね。
あぁ くらくらする
きっと暑さのせいじゃない
とおい空のせいでもない
夏を感じられないというところから、この歌詞。
熱中症ではなさそうです。それはそうか。
とおい空のせいでくらくらするのは、元々は陽炎のことを言っているのかな。
視界がふらつくような、今まで見てきた景色がゆがんでいく。
でも、それは陽炎のせいじゃなくて、「おまえのせい」なんですね。
「とおい空のせいでもない」のは「ちかい君(きみ)のせい」だから、かもしれませんね。
かもというかそうなんですけど、ここの「とおい」を反対の言葉にするという考え方は、二番でも使ってみようと思います。
「暑いね」なんて
無理な笑み おまえのくせに
嫌気がさしただけなんだ
ここで「暑いね」と言ったのは、どちらなんでしょうかね。
・自分が「暑いね」と言った
夏を感じられないという歌詞がきていたので、無理な笑みを浮かべながら、思ってもいない「暑いね」を言ったのが私、という読み方。
暑さを感じていないことを素直に表現してしまったら、君に恋をしてしまっていることを白状するような気になる。
だから心の中で「夏を感じないのは夏に嫌気がさしたから」ということにして。
こんな思ってもいないこと、おまえに言わされてるんじゃないんだぞ、と強がって見せる。ツンデレかな?
・おまえが「暑いね」と言った
相手が無理な(似合わない)笑みを浮かべながら「暑いね」と言った、という読み方。
こっちがぱっと見、文脈としては素直な読み方かな、と思います。
こんなに(君にとっては)暑い中で、笑顔を浮かべながら話しかける。
こっちはおまえのことで暑さどころじゃなくて、君は暑さなんか気にしてて、自分だけが意識しているのがまた、居心地が悪い。
嫌気がさしているのは、それを認めない言い訳か、素直になれず心をついた悪態か。
風になびくブラウス背中だけ
張り付き透ける淡い幻覚色
ところで、この記事を書き始めて、初めて「男性目線で描いた歌詞らしい」と気づきました。
もちろん男性用のブラウスも存在するんですけど(だから正直どちらの目線で読んでも、それぞれにキュンとくる歌詞である)、基本的にはそういう読み方をしたほうがいいのかな。
汗で背中が張り付いたブラウス。
幻覚色というのはなんだろう? と考えると、張り付いたブラウスの先に見える……ような気がしてしまう肌の色なのかな、と思います。多分白ですね。透けるんです、白。
正面からそういう見方をするほど堂々とはできないけれど、後ろからみて張り付いて透けたブラウスに、つい目を引かれてしまう……。
いつもと違うのは気のせい?
僕は未だ罠に気づかずに
そんなにいつも見てるのか、と突っ込みたくなってしまう。
さておき。そうやって自然と目を引かれてしまうのが、もう罠というか、だんだんと抜け出せなくなっているんでしょうね。
いつもの違うのは……なんだろう。夏だから、海に行く人は体格に気を使い始める時期かもしれません。
それか、透けて見える下着がいつもと違うのかもしれない。それなら「幻覚色」がいつもと違う、という読み方もできますね。
いつもと違う下着、自分と一緒にいるから?……なあんて、考えすぎかな。きっとそう。
そう思うけど、気になってしまう。気にさせられてしまう。
見かけなくなった野良猫
冷たくない無味のスイカ
おまえのせいだってわかってんだ
僕の夏を返してよ
ここも一番と似ていて、子ども時代からの時間の経過と、おまえのせいで夏が霞んでしまうことと。
路地裏に対応しているのが野良猫、駄菓子屋に対応しているのが、スイカでしょうか?
野良猫は、時間の変化とも取れるし、自分の視野が(おまえのせいで)それだけ狭まっているとも取れます。
スイカは、もう「夏!」って感じですね。
冷たくて甘いスイカ。
縁側で感じる木と草のむせそうな匂い。
川からくる風の、ちょっとしたすっきり感。風鈴の音。
「冷たくない無味の」は、もっと暑さを忘れさせる、甘いものを知ってしまっているからでしょう。
つまり、それって恋なんですけど。
あぁ くらくらする
きっと暑さのせいじゃない
あおい空のせいでもない
ここも一番と同じように読んでいいかな、と思います。
「とおい」が「あおい」になっています。より景色が鮮やかに。また「本当は暑い夏のはずなんだ」というのが伝わってきますね。
さて、ここでも「あおい空のせいでもない」を反対にすると「あかい君のせい」になります。
うーん、顔色をそうやってイメージすると、君に惹かれてしまっているのかな……って、どんどん恋心が鮮やかに感じられるようになってきますね。
アイスクリームに
かぶりつく横顔にただ
嫌気がさしただけなんだ
ここは一番に比べて、シンプルな読み方ができると思います。
「横顔に」ということは、アイスクリームにかぶりついているのは「おまえ」で間違いないでしょう。
アイスクリームもまたスイカと同じく「冷たくて甘いもの」ですが、アイスクリームの形をしている以上は冷たくないことはありません。甘くないこともないでしょう。
スイカはぬるくなるし、甘くないものもあるけどね。
相手の食べているものだから想像しかできないけれど、無邪気にアイスクリームを食べて甘さと冷たさを感じている姿を見るのは、それを感じられなくなってしまっている自分にとって、やはり居心地が悪いものです。
また、これはよく言われることだろうと勝手に思っていますが*2、「アイスクリーム」を「I scream」と読んであげるのもいいですね。
screamは「叫ぶ」とか。用法によっては「笑い転げる」なんて意味にもなります。
「アイスクリームにかぶりつ」いて、甘さ冷たさを感じられるというのは、自分の叫びを受け入れているという表現、「自分の気持ちに素直でいる」という意味で取れそう。
つまり、「おまえだけ自分の気持ちに素直でいられる、そのことに嫌気がさす」という歌詞なのでは。苦しいね。
……もっとも、相手が甘さや冷たさを感じているのは主人公の視点であって「君」が本当にそうだとは限らないし、むしろ「自分の気持ちを飲み込んでしまっている(=互いに言い出せない両片思い)」という可能性もあるわけですね。ひゅーひゅー。
ずっと打ち上がらない花火
胸に響いてこない音
おまえのせいだってわかってても
僕の夏を君は捕る
一緒に夏祭り、花火大会に出かけるような仲なんですよね。
花火が打ち上がるまでの時間が永遠に感じたり、する。わかる。この緊張の時間。
それで、いざ花火が上がって胸に響く音よりも、自分の鼓動の方がうるさいんですよね。
誰のせいって、そりゃあ「君」のせいなんです。
「おまえのせいだってわかって」るのは僕なんですけど、その上で「僕の夏を捕る」のは君なんですよね。
ここ、主語がわかりづらいので、いくつか可能性を検討します。
・わかっていても自分は惹かれてしまう
君が捕るという言い方をしているが、実際には自分が君に惹かれていってしまう。
まさに飛んで火に入る夏の虫。
・「おまえ」は自分
「君」と「おまえ」が別々に使われているので、この二人は別人であるという可能性を考えました。
この曲の歌詞で最も面白いのは、この点かなと思います。
そもそもこの曲には、登場人物がふたりしかいません*3。
ということは、「おまえ」と「君」が別人だったなら、「おまえ」は自分のことを言っている、ということになります。
・「僕」というのは、君に恋していることを認めたくない自分。
・「おまえ」は君に恋してしまっている、認めさせようとしている自分。
という風に歌詞を読み返して見ると、非常に面白いんですね。
例えば一番サビで無理して笑顔で「暑いね」と言ったのは、君に恋している自分(おまえ)。
そんな自分に、嫌気がさしている僕がいる。
そんな風に読めてしまうんですね。
僕に夏を感じなかったのも、「おまえ」つまり恋心を持っている自分の感情のせい。
で、そんな複雑な*4状態の自分が君と花火を見にきた。
認めたくない、気づきたくないと思っていても……やっぱり君を目の前にした僕は、「夏を捕」られてしまう。
「おまえ」と「僕」との境界は、もう意味をなしていないかもしれませんね。
そんな風に主語を整理して、曲全体をもう一回「おまえ=自分」で読み返したら、次行きましょう。
だから
あぁ くらくらして
きっと僕だけじゃないだろ
ずるい君のせいなんだろ
今まで「おまえのせい」としか言っていなかったのが、ここで「僕(のせい)だけじゃないだろ」となっています。
「だけじゃない」ということは「それはそれとしてある」ことを一旦認めているので、「くらくらする」原因が自分にあることを認めてしまったようですね。この辺りも「おまえ=自分」の補強になりそうです。
で、くらくらする原因が君にもあるというのは……
「僕が君に恋をしてしまう人だからだけじゃなくて、君が魅力的なのがずるい(悪い)」
ということになります。なんという開き直り。
もう後に引けないところまできてしまったようです。
YoutubeのLyric Videoだと「僕」の手の位置なんかを見ても、その辺り読み取ることができそうです。
明るくなった
一瞬の横顔にただ
嫌気がさしただけなんだ
赤みがさしただけなんだ
赤みがさしたのは、花火の色なのか、相手の顔色なのか、自分の感情の色なのか。
一瞬の灯りが、帰って表情を強く印象付けているのでしょうか。カメラのフィルムみたい。
……そういえば、「あおい空」は「くらくら」の原因として否定されていましたね。
ここで君の顔色が赤く見えるということは、やっぱり自分は「君」のことを好きになってしまっているんだなあ、と再確認します。
「赤みがさしただけなんだ」の歌い方は特にアレンジによって大きく違うポイントでもあるので、手元にCDのある方は聴き比べて見てください。
最後の歌詞に「赤みがさしただけなんだ」とあることで、それまでの「嫌気がさしただけなんだ」という部分にも、ほんのり赤みのある感情を読み取ることができるようになった気がします。
最初は相手に悪態をついている曲かな? なんて聴いていましたが、聴けば聴くほど恋の歌に聴こえてきてしまう自分がいます。
なんだか、青春時代の夏に戻ったような気分ですね。
おわりに
もうすぐ夏!
ということで、大好きなこの曲について考えてみました。
「おまえ=自分」じゃないかな、というのは、正直ちょっと真偽はわかりません。
私はそうやって読んであげたいなっていうだけ。
CDもYoutubeのアレンジももちろんともりさんの魂がこもった音で、大好きでたくさん聴きます。
で、その上で、それ以上にライブという「時間」を共有しながら聴いてほしいな! と思う曲です。
感情の伝わり方が、やっぱり生には生にしかないものがありますよ。と、年末に行われた「WRAPPED///LIVE廿」で思ったのでした。映像化してほしいです。切実に。
楠木ともりっていうアーティスト(表現者)の一番の魅力は、私は「彼女の生きている時間に思いを馳せることができる」っていうことだと思っています*5。
私(というか受け手、聴き手)とともりさんの感じる時間の流れ、速さだったり感じ方だったり、そういうものは全く違うんです。それは当たり前のこと。
そんな違う感覚の世界を生きていても、
彼女がどんな風に物事を感じているんだろう。
どんな風に生きて、何を燃やして、何につまづいて、何が嬉しいんだろう。
そんなことを考えながら、感じながら、聴くことができる。
私にとっては、それが「楠木ともり」を好きでいる、一番の理由というか、要素なんだと。
他の曲も皆さんに聴いてほしいですし、バニラも音源化してほしいし、何よりメジャーデビューで曲を今まで以上に聴けるのも楽しみですね。
いつかまた、彼女の生きている「世界」「時間」を表現した空間に、一緒にいられる日がくるといいな……と思います。(訳:ライブに行きたい!)
それでは。
ぶろっく