今日も主食はカロリーブロック

ラブライブ!やラブライブ!サンシャイン!!に関することを、時折思いつきで書いていこうと思います。

「WATER BLUE NEW WORLD」がμ'sの曲を受けた曲なのではないか、という話。

 

 こんにちは、ぶろっくです。

 

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 セブンイレブンラブライブ!サンシャイン!!のコラボキャンペーン。

 入手した「レクリエーション」のノートに上のようなメモを残しました。

 何かしら使ってあげたいと思い、最近ちょっと考えていた歌詞同士の接点をメモしてみる試み。

 悪くなさそうです。

 

 

 そんなわけで今回は、「こんな可能性もあるのではないか」という程度の、やや妄想寄りの歌詞考察をしていきます。

 取り上げる曲はこちら。

 


Aqours『ラブライブ!サンシャイン!! 』TVアニメ2期 第12話 挿入歌「WATER BLUE NEW WORLD」60秒CM

 

 テレビアニメ「ラブライブ!サンシャイン!! 2nd Season」第12話挿入歌「WATER BLUE NEW WORLD」です。

 そしてもう一曲。

 


ラブライブ!The School Idol Movie Blu-ray好評発売中CM

 

 こちら、劇場版「ラブライブ!」挿入歌「僕たちはひとつの光」です。

(視聴動画ないんですよね……。Solo Live CollectionIIIの試聴動画でワンコーラス聴くことはできますが。)

 

 この二曲のつながりは、「共にアキバドームで披露された」で終わらせるにはもったいない。

    Aqoursの見せた青い羽の輝きこそ、アニメでμ'sが残した最後の曲を受けた「スクールアイドルらしさ」の具現ではないか。

 そんなお話をしていきます。

 

 

 他の曲との繋がりも他に沢山あるのですが、そちらは今回ちょっと控えめに。

 他の曲を考えるときにWATER BLUE NEW WORLDの考え方をヒントにすることが多そうですので、そのときに一緒に考えていこうと思っています。

 

 WATER BLUE NEW WORLD単体でも咀嚼するのが大変な曲ですので、どうぞお時間のあるときにゆっくりとお読みください。

 

 

Caution!

 この記事には以下の内容が含まれております。

・「WATER BLUE NEW WORLD」フル歌詞

・「僕たちはひとつの光」フル歌詞

・アニメ「ラブライブ!」「ラブライブ!サンシャイン!!」の一部ネタバレ

・その他「ラブライブ!」シリーズに関する軽微なネタバレ

 

 

 

 

「WATER BLUE NEW WORLD」を考える。

 

 この曲の一番のソロパートは2017年夏に発売された「デュオトリオコレクションCD VOL.1 SUMMER VACATION」の組み合わせでした。

 二期2話をはじめとした物語から、Aqoursが学年にとらわれず表現をできるようになったような演出。

 また、単にCDの組み合わせや学年の違いに止まらず、物語のひとつの集大成として、きちんと意味を持っているようにも思います。

 

 まるまりこの三人は、キーワードを挙げるなら「内から外へ」「新しい感情」といったところ。

 自分の家や世界から、本と文字の世界から、東京あるいは心の中の抑圧から。

 アニメ一期で大切な気づきを得ていた三人は、二期でその成長ぶりを随所に見せてくれました。

 

 黒澤姉妹の二人は「成長」「気づきと受け入れ」でしょうか。

「自分を取り戻す(=過去を乗り越え肯定する)」ことで輝きを増す傾向の多いAqoursメンバーですが、この二人は特に二期でその傾向が顕著だったように思います。

 またメタ的には、「MY舞☆TONIGHT」に「Awaken the power」にと、楽曲の映像面での優遇も多かった二人ですね。

 

 ちかなんの二人は、「悔しさ」「負い目」「欲」です。

 このパートを千歌が担当することには、歌詞担当としてのこだわりを感じます。

 スクールアイドルをはじめ、鞠莉の将来と怪我に悩み、東京で踊らず、スクールアイドルを一度諦める。

 普通星人から始まり、部員が足りず、東京の大会では評価されず、ラブライブ!決勝には出られず、廃校は免れず。

 こうした経験を経た二人は、周囲の助けを借りながら、後悔しないスクールアイドルライフを送ることになります。

 

 ようよしは共通項の少なそうな二人ですが、「環境と自認とのギャップ」「周囲への気配り」という似通った部分を持っています。

 曜は、自分が器用で優れた人物であると評されることにギャップを感じていました。

 善子は自分(だけ)が不運であるということに「堕天使である」という言い訳を用意していました。

 それぞれの物語の中でその思いに折り合いをつけ、あるいは昇華し、あるいはギャップを解消して、すれ違いがちだったAqoursのメンバーと心を通わせていきます。

 

 これら、人物ごとのお話にも別の機会にしっかり触れていきたいと思います。脱線しましたが、歌詞のお話に入りましょう。

 

 

 

 

 

イマはイマで昨日と違うよ

明日への途中じゃなく イマはイマだね

この瞬間のことが

重なっては消えてく

ココロに刻むんだ 

WATER BLUE

 

 

 この曲では「イマ」というワードが、特別なものとして繰り返されています。

 スクールアイドルの限られた時間ゆえの輝き。その限界を突き詰めたものが「イマ」つまり「この瞬間」といえるでしょう。

 例えば歌詞には出てきませんが、「今」(英語の「現在形」というような意味合い)だと、少し幅のある「状況」とも言い換えることができます。

 この曲では、この「イマ」と「今」の使い分けがはっきりなされているので、探してみると面白いかもしれません。

 

    補足として、「MIRAI TICKET」における未来も、ここでの「イマ」と結び付けられるでしょう。

    ただし、「MIRAI TICKET」での輝きも、この曲への途中であるから輝いていたのではありません。

    常にそれまでの輝きの積み重ねとして、「この瞬間」に輝いているのです。

 

 「WATER BLUE」はイマのAqoursが見ている、「輝く世界」のことです。

 ん?「Aqoursの輝きの色」ではないの? というご指摘は、ごもっとも。

 

 文脈と映像の解釈次第では「青色(=Aqoursの輝きの色)を心に刻む」のですが、実は「Aqoursの輝きの色」は、Aqoursを象徴してさえいれば、青でなくても成立します。

 例えば、太陽の色。みかんの色。Aqoursらしく色とりどり、それぞれの色。

 あの映像の青く舞う羽が鮮烈であること、海をテーマとした曲や歌詞がAqoursに多いこと、グループ名が水→青を連想させること、以前から徐々に青に色づく羽の演出があったこと。

 様々な理由から他の色を連想しづらくはなっているのですが、青い世界でなくてはならなかった理由は他にある、と私は思います。理由は記事の後半で。

 

 

悔やみたくなかった気持ちの先に

広がったセカイを泳いできたのさ

 

「悔やみたくなかった気持ち」は、Aqoursがずっと抱えてきた感情です。

 その悔しさの先に「広がったセカイ」は、アニメ一期12話で目指すと決めた、自分たちだけの景色。

 Aqoursだけが経験してきた悔しさと輝きの中を、彼女たちは進んできました。

 様々な局面で、彼女たちをAqoursたらしめているのは「悔しさ」である、と私は思います。

 

 

「あきらめない!」

言うだけでは叶わない

「動け!」

動けば変わるんだと知ったよ

 

 これはAqoursが実体験として思い知らされてきたこと。

 0から1へ、廃校の阻止へ、少しずつ動いて、変えてきた彼女たち。

 重要なことは動けば「叶う」のではなく、「変わる」のだということ。

 それを今でこそポジティブなことと捉えていますが、その根底には「叶わなかった」という痛みを抱えています。

 叶わなかったからこそ、それでも、動いたことで生じた変化を受け入れ、現在へと至っています。

 

 

ずっとここにいたいと思ってるけど

きっと旅立ってくって分かってるんだよ

だからこの時を楽しくしたい

最高のトキメキを胸に焼きつけたいから

 

 三年生の気持ちの吐露に対して、受ける一年生、その思いに方向をつける二年生、という構図。

 見方が割れそうなところで、「この時」というのは少し幅の広い時間で、「現在」に近い表現かと思います。

「焼きつけ」るという歌詞なので、ビデオを連想すると理解しやすいかと思います。

 楽しくする「この時」がビデオの中の短い映像で、その時間のひとつひとつをフィルム(=「イマ」)として「胸に焼きつけたい」ということなのです。

 

 ……この表現、実はVHS世代までしか実感としてピンとこないのでは?

 

 

MY NEW WORLD

新しい場所 探すときがきたよ

次の輝きへと海を渡ろう 

 

 Aqoursの道行きは「MIRAI TICKET」に象徴されるように、航海をモチーフとして表現されてきました。これはその流れを汲んだ表現です。

 スクールアイドルとしての表現の場は、公にはこれが最後。

 限られた時間を輝かせてきたスクールアイドル・Aqoursは、時間を惜しみながらもその先の航海に漕ぎだします。

 

 ここで重要なのは、「海」という言葉が明確にされたこと。

 彼女たちが渡ってきた、これから先に進むそのフィールドが「海」だということ。

 これは是非、頭に入れておいていただきたい表現です。

 

 

夢が見たい想いは いつでも僕たちを

つないでくれるから 笑っていこう

イマを重ね そして ミライへ向かおう!

 

 スクールアイドルの輝きの源が、「夢が見たい想い」と表現されています。

 最高の「イマ」を重ねて、同じように最高の「ミライ」へ向かう。

 これが最後の機会であるから、その未来できっと、Aqoursはスクールアイドルではないのでしょう。

 それでもこの、輝きを得るために駆け抜けた、「イマ」を重ねた経験は、彼女たちを同じように輝かせてくれるはずです。

 

 

 

時代(とき)は今日も過ぎてく とめられないと

気がついた僕らは どこへ向かうの?

大丈夫! いつだって思い出せるよ

駆け抜けてきたすばらしい季節を

 

 ここはユニット・Guilty Kissのパート。

 ここで「とき」が「時間」ではなく「時代」なのは、時間の経過とともに彼女たちがスクールアイドルでなくなることを暗示しています。

 スクールアイドルに輝きを見出せても、彼女たちにスクールアイドルとして輝く時間は、あまり残されていません。

 けれどここで三年生の鞠莉が力強く「大丈夫」と宣言します。

「季節」が「時代(とき)」の別の表現であることは、ラブライブ!に親しんだ方ならお察しのことかと思います。

 この曲について言えば、まさに「イマ」に対して幅のある「今」に属する表現ですね。

 「いつだって思い出せる」は思い出に浸るという意味ではないでしょう。

 前後の歌詞から、「未来の自分は、これからも輝こうとすることができる。この季節に得た、輝く力を胸に」という意味合いの方が、しっくりきます。

 

 

ずっとここにいたいね 好きだよみんな

でもね 旅立ってくって分かってるんだよ

たくさんがんばってきた時間が愛しい

最高のツナガリを いつまでも大事にしよう

 

 今度はAZALEAのパート。

 果南と花丸の凸凹なふたりがこの詞を歌うことには、二期2話の思い出から、感慨深いものがありますね。そんな二人の送辞と答辞(順序は逆ですが)のようなやり取り。

「ここ」という指示語が曲者で、シンプルにAqoursという居場所、浦の星女学院という母校、内浦(淡島)という故郷、どれにとっても正解であると思います。「みんな」も、その全てを受けることができます。

 

 その裏で、ここでもやはり、スクールアイドル・Aqoursでなくなることが仄めかされています。

 もうひとつの「ここ」の読み方は、鞠莉の「季節」を受けている、というもの。

 季節は移ろっていきますが、「旅立ってく」には切ない歌声の中に、自発的であるというニュアンスが含まれます。

 その季節を「愛しい」と表現するのがいかにもダイヤちゃん。風流ですね。

「最高のツナガリ」と「がんばってきた時間」を胸に旅立つ、これは前の三人(Guilty Kiss)のパートを補強する内容ですね。

 

 

MY NEW WORLD

またココロが踊るような日々を

追いかけたいキモチで海を渡ろう

夢は夢のように過ごすだけじゃなくて

痛み抱えながら求めるものさ

 

 同じことの繰り返しになりますが、スクールアイドル・Aqoursのその先へ向かう歌詞です。

「ココロが踊るような日々」は「季節」と同義の表現です。

 スクールアイドル・Aqoursとしてではなくとも、これから先も彼女たちは、それぞれに輝きを追いかけていきます。

 Aqoursにとって「夢」は「キラキラと輝く“スクールアイドル”になること!(TVアニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』公式サイトより)」でした。

 痛みを知りながらも夢を追ったAqoursは、スクールアイドルの先にある航海でも、きっと更なる夢を求めることができます。

 スクールアイドルとして胸に宿した輝きは、この先の航海でも「追いかけ」るべき、しるべになってくれる。

 

 

 

イマはイマで昨日と違うよ

明日への途中じゃなく イマはイマだね

この瞬間のことが 重なっては消えてく

ココロに刻むんだ

 

 ラスサビ前にキーを落とすのは、「想いよひとつになれ」でも近い表現が用いられていますね。

 CYaRon!のパートは、3つのユニットで唯一、三年生が参加していないパート。

 それ故か、先々のことに向かいがちだった話題を、「イマ」を重ねるという原則に引き戻してくれました。

 

「明日への途中じゃなく」というのは、「ミライ」に繋がらないという意味ではありません。

「ミライのためにイマがある」のではなく、「イマの積み重ねの先にミライがある」ということ。

 このふたつは似ているようで、全く別の意味を持っています。

 この瞬間のことは重なって消えていくけれど、ココロにその輝きを刻むことで、ミライへ向かうことができるのです。

 

 

WATER BLUE NEW WORLD

新しい場所 探すときがきたよ

次の輝きへと海を渡ろう

夢が見たい想いは いつでも僕たちを

つないでくれるから 笑っていこう

 

 ここでタイトルの「WATER BLUE NEW WORLD」です。

「WATER BLUE」はイマのAqoursが見る「輝く世界」です。

「NEW WORLD」は、漕ぎ出していくこの先の世界。

 これまでの歌詞の解釈に乗せれば、「WATER BLUE NEW WORLD」は「この季節に得た輝きを胸に、この先でも輝きを追いかける」という、決意表明のようなものでしょうか。

 

 「僕たちをつないでくれる」はどうやら、それぞれのメンバーとの絆が失われないこととともに、この瞬間に輝きを求める自分と未来の自分をつないでくれる、ということでもあるようです。

 これは、「大丈夫! いつだって思い出せるよ」から想像できる内容ですね。

 

 

ココロに刻むんだ この瞬間のことを

ココロに刻むんだ この瞬間のことを 僕らのことを

イマを重ね そして ミライへ向かおう!

 

 冒頭では触れませんでしたが、「ココロに刻む」というのは「胸に焼きつけ」ることと同義に考えていいでしょう。

「イマ」と「現在」の使い分けの話をしましたが、「イマ」のニュアンスで表現されているということへのトリガーは主に二つ。

 ひとつは「瞬間」という言葉が直接的に使われている場面。

 もうひとつは、「イマ」「ミライ」のように、カタカナで表現されている場面。

 これらカタカナの表現は、それぞれの箇所の文脈の中で、その瞬間を焼きつけるという意味合いを含んでいます。

 そのひとつひとつの積み重ねが、「ミライ」へと向かう糧になるのです。

 

 

 

 

 曲単体での考察はこのあたりで。

 まとめると、

 

Aqoursはこれまでの道のりで、スクールアイドルとして輝いてきた。

・その瞬間ごとの輝きを胸に焼きつけたい。

・その一瞬一瞬の輝きを胸に、それぞれの次の航海へと進もうとしている。

 

という曲でした。

 

 さて、それではようやく「僕たちはひとつの光」とのつながりを考えていきます。

 

 

 

 

 

僕たちはひとつの光」と一緒に考える。

 

 ここから、記事冒頭の説明通り「僕たちはひとつの光」と結びつけて「WATER BLUE NEW WORLD」について考えていきます。

 まずは、恐ろしくさらっとですが、「僕たちはひとつの光」について。

 

曲について

 

Ah! ほのかな 予感から始まり

Ah! 希望(のぞみ)が 星空駆けて

花を咲かせる にっこり笑顔は

ずっと同じさ 友情の笑顔

 

忘れない いつまでも忘れない

こんなにも心が一つになる

世界を見つけた喜び(ともに)歌おう

最後まで(僕たちはひとつ)

 

小鳥の翼がついに大きくなって

旅立ちの日だよ

遠くへと広がる海の色暖かく

夢の中で描いた 絵のようなんだ

切なくて 時をまきもどしてみるかい?

NO no no いまが最高!

 

 

みんなと出会えたこと 嬉しくて

離れたくないよ 本当だよ

涙はいらない このまま踊ろう

手を振って もっと振って

 

光を追いかけてきた僕たちだから

さよならは言わない

また会おう 呼んでくれるかい?

僕たちのこと

素敵だった未来に繋がった夢

夢の未来 君と僕のLIVE&LIFE

 

小鳥の翼がついに大きくなって

旅立ちの日だよ

遠くへと広がる海の色暖かく

夢の中で描いた 絵のようなんだ

切なくて 時をまきもどしてみるかい?

NO no no いまが最高!

だってだって いまが最高!

 

Ah! ほのかな予感から始まり

Ah! 光を追いかけてきたんだよ… 

 

 

 以上、歌詞です。

 

 スクールアイドルみんなのための曲が「SUNNY DAY SONG」であるなら、こちらはμ’sの9人のための曲です。

 9人の名前を含み、その姿を永遠に刻みつける曲。

 最後のライブとしてその姿が語られた曲。

 蕾から花開き、種を蒔いたμ’sの、アニメにおける最後の曲。

 

 この曲の最も重要なフレーズは、言わずもがな「いまが最高!」です。

 μ’sは作中で、その人気から「卒業後も活動を続けて欲しい」と周囲から期待されるようになります。

 けれどμ’sのメンバーは、そしてリーダーである高坂穂乃果は、元々の決断の通り、μ’sとしての活動は三年生の卒業とともに「おしまいにする」ことにしました。

 それが「限られた時間の中で精一杯輝こうとする、スクールアイドルが好き」という、彼女たちの解答。

 その解答を得て披露されたのが「SUNNY DAY SONG」であり、そしてこの「僕たちはひとつの光」でした。

 

 

 

考え始めるきっかけについて

 

 では、なぜμ’sのための曲とAqoursの曲を一緒に考えるのか。

 なんというか、まず対応する歌詞が非常に多いのです。

 

 

※順は「僕たちはひとつの光」基準です。

 

忘れない:胸に焼きつけたい

世界:セカイ、WORLD

旅立ち:旅立ってく

海:海

いま:イマ

いまが最高:最高のトキメキ

離れたくないよ:ここにいたい

追いかけてきた:追いかけたい

素敵:ココロが踊る

未来:ミライ

 

「夢:夢」「LIVE&LIFE:日々」ととかは流石に省略しました。ちょっと汎用的すぎるか、文脈的に無理がありましたね。

 他にもあるかもしれませんが、とにかく対応する歌詞がこれだけあるので、曲同士の関係性を考え始めるきっかけとしては十分といえるでしょう。

 

 

 

曲同士の関係性

 

 すでに述べましたが、この二曲には互いに対応している点がいくつかあります。

 まず、共通している部分について。

 

・「いまが最高」であること

 これが最大の共通点です。

 実は「僕たちはひとつの光」の「いま」は歌詞の中で、時間軸の中のどういう位置づけなのか、明言されません。

 どういう、というのは「WATER BLUE NEW WORLD」における「イマ」と「今(季節)」のどちらに属する表現なのか、ということですね。

 むしろ、順番的には「WATER BLUE NEW WORLD」でAqoursが自分たちの「いまが最高!」の形を見つけた、ともいえるでしょう。

 

・「離れたくない」「ここにいたい」こと

 どちらの曲でも、何に対して「離れたくない」「ここにいたい」のかは明言されていません。

僕たちはひとつの光」では「みんなと出会えたこと嬉しくて」と直前にあるので「みんな」が対象に含まれるのは間違いありません。

「WATER BLUE NEW WORLD」でも「好きだよみんな」と続けています。

 スクールアイドルであることから、あるいはグループから、母校から。「みんな」という言葉は、そうした意味のこもった表現となっています。

 

・舞台がアキバドームであること

 これは状況が偶然そうであったという可能性もありますが、「僕たちはひとつの光」を受ける曲としてあえて「WATER BLUE NEW WORLD」がこのような曲になったのだとすれば、無視できない点です。

 

 

 次に、それを踏まえて「僕たちはひとつの光」を受けている表現について。

 

・「小鳥の翼」→(青く染まった羽)

僕たちはひとつの光」は、μ’sの輝きを永遠に刻む歌でした。

「小鳥の翼」は「START;DASH」から彼女たちが成長し羽ばたく様を表現してきたものです。

 

 そもそもμ’sの歌う「旅立ち」は、Aqoursのそれとは性質が全く異なります。

 彼女たちの歌の中で旅立つのは成長した「小鳥」です。

 小鳥は「いつか空に羽ばたく(START;DASH!!)」ものとして語られていました。

 振り返ると、「START;DASH!!」はアニメ中で三度、スクールアイドルとしての出発のための役割を担っています。

 一度目はμ’sの出発。二度目は9人の再出発。そして三度目は(現在の)Aqours誕生のきっかけとして。

 その点を踏まえると、「僕たちはひとつの光」における小鳥の旅立ちは、未来のスクールアイドル全体にその姿を示すためのものであった、と考えることができます。

 これは秋葉原で「SUNNY DAY SONG」を披露したイベントの趣旨にも合致した、μ’sの願いのひとつでもあります。

 より広くの人に知ってもらいたいというのは当初からμ’sが持っていた願いですが、小鳥の旅立ちはその思いが昇華された表現なのです。

 

 さて、こうした経緯を経て受け取った「羽」は、Aqoursにとって、スクールアイドルの輝きの象徴。

 アニメ一期12話でμ’sから受け取った、輝きのキッカケです。

 Aqoursが自分たちの輝きを見出すにしたがって、その羽は青い輝きを増す。

 この青という色の秘密は、「僕たちはひとつの光」に隠されていると私は考えています。

 

・「広がる」海「を渡ろう」

 

 もちろん、Aqoursのバックグランド、各々の個性を鑑みたときに、全体として青となるのは否定しません。

 青い空、そして海に囲まれた内浦や淡島でその景色の美しさを感じた方なら、そのあたりは違和感なく受け止めることができるはずです。(こればかりは気候の条件に左右されてしまうのですが。)

 

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秋の淡島神社より。

 

 

 しかし歌詞の考察でも述べたとおり、それならば内浦を象徴するみかん色でも、メンバーそれぞれの輝きを示す9色でも、より輝きを増した太陽の白でも構わないはずです。

 

 Aqoursが渡ってきた、そしてこれから渡ろうとする「海」は、μ’sの輝きがひとつのきっかけ。

僕たちはひとつの光」で歌われた「遠くへと広がる海」は、小鳥が旅立った先に広がる景色です。

 羽をスクールアイドルの輝きの象徴、各スクールアイドルの輝きのきっかけとするなら、「海」はμ’sに憧れた全てのスクールアイドルが見ることになる、輝きの足元に広がる景色なのです。

(遅くなりましたが、「WATER BLUE」を「輝く世界」と表現したのはこういう訳です。)

 

 こうしたわけで、「WATER BLUE NEW WORLD」は「僕たちはひとつの光」を受けた、スクールアイドルの一組の輝きと旅立ちを語る曲なのです。

 

 

 

羽の青い輝きの意味は。

 

 

 ここまでの長い長い内容を前提として、羽が青に染まるということが、どういうことか。

 それはこれまでμ’sが広げてきたスクールアイドルの可能性を、それだけ色濃く反映している、ということです。

(「泳いできたのさ」とあるのでそこで着色されたのかとか、飛んでいる羽というスクリーンに海の色が映ったのかとか、そういうのはちょっと想像の余地があるかと思います。)

 

 μ’sと自分たちは何が違うのか。

 それを求めた末にAqoursのメンバーは「自分たちだけの輝き」を探します。

 それこそがある意味、最も「μ’s(=スクールアイドルの象徴)らしい」輝き。

(これはラブライブ!二期6話を思い返していただくと分かるかと思います。)

 追い求めてきた「決して届かない光」に、悔しさとともに歩き続け、Aqoursなりに手を伸ばし、たどり着いた姿。

 それこそが、スクールアイドルとしての輝きを強く宿した、海色の羽の正体なのではないでしょうか。

 

 アキバドームはAqoursで唯一、μ’sと同じ舞台に上がることができる場所。

 だからこそ決勝のアキバドームで披露された「WATER BLUE NEW WORLD」が、μ’sに対する、Aqoursからの答えだったのかもしれません。

 μ’sによって広がった可能性。限られた時間の中で精一杯輝こうとする、そんなスクールアイドルとして、「イマ」を駆け抜けてきたAqoursの9人。

 同じ位置に立ち、同じようにグループとして最後の時を迎えても、私たちは自分の景色を追ってここまできたのだと。

 私たちは、私たちの輝きを胸に先へ進みますと、そう宣言する曲となったと、思わずにはいられません。

(それだけの輝きを持っていても、いざスクールアイドルから一人の浦女生に戻ったとき、今一度足踏みしてしまうのがまた千歌らしいのですが。)

 

 

 

 

おわりに。

 

 千歌は一期12話で次のように語りました。

 

「多分、比べたらダメなんだよ。追いかけちゃダメなんだよ。μ’sも、ラブライブ!も。輝きも。」

μ’sのすごいところって、きっと、何もないところを、何もない場所を、思いっきり走ったことだと思う。みんなの夢を、叶えるために。自由に。まっすぐに。だから飛べたんだ!」

μ’sみたいに輝くってことは、μ’sの背中を追いかけることじゃない。自由に走るってことなんじゃないかな!全身全霊、何にも捉われずに、自分たちの気持ちに従って」

 

「Dear. 穂乃果さん。

 私はμ’sが大好きです。

 普通の子が精一杯輝いていたμ’sを見て、どうしたらそうなれるのか、穂乃果さんみたいなリーダーになれるのか、ずっと考えてきました。

 やっとわかりました。

 私で、いいんですよね。

 仲間だけを見て。目の前の景色を見て、まっすぐに走る。

 それがμ’sなんですよね。それが、輝くことなんですよね!

 だから私は、私の景色を見つけます。

 あなたの背中ではなく、自分だけの景色を探して走ります。みんなと一緒に。

    いつか、いつか……!」

   

 その「いつか」こそが、ラブライブ!決勝の舞台だった。

 その続きの言葉にならない言葉が、このライブに込められていた。そう思います。

 この回以降Aqoursμ’sについて語ることはありませんが、この歌詞を見て、確かにAqoursの中にμ’sが、ラブライブ!が息づいていると、嬉しくなりました。

 

 

 以上で、今回の「WATER BLUE NEW WORLD」に関する考察を終えたいと思います。

 記事の中での拾い漏らしも多そうな気配がしますが、どこかでしっかり回収したいと思います。

 

 それでは、またお会いしましょう。

 立て続けに投稿したので、少し間が空いてしまったら申し訳ございません。

 ご意見、ご感想、お待ちしております。

 

 ……もうちょっと、言いたいことを言いつつすっきりした文章、というのをかけるように、今後も努力しますね。