今日も主食はカロリーブロック

ラブライブ!やラブライブ!サンシャイン!!に関することを、時折思いつきで書いていこうと思います。

Pianoforte Monologue の歌詞を考察してみる。

※記事中に、以下のネタバレが含まれます。お気をつけください。

・アニメ「ラブライブ!サンシャイン!!」1期、2期の軽微なネタバレ

ラブライブ!サンシャイン!! 2nd season Blu-ray第3巻特装限定版特典CD収録曲「Pianoforte Monologue」のフル歌詞のネタバレ

・その他、ラブライブ!関連楽曲に関する軽微なネタバレ

 

 

 というわけで、初めての考察記事です。

 

 今回は、初回なのに最新のリリース?曲。

 ラブライブ!サンシャイン!! 2nd season Blu-ray第3巻特装限定版特典CDに収録された曲。

 桜内梨子(CV:逢田梨香子)の「Pianoforte Monologue」です。

 (試聴動画の後半の曲です。)

 

 

 この曲、試聴の段階でもとてもいい曲です。

 が、フルで聴くともっといい曲です。

 先日のニコ生で逢田梨香子さんが

「聴きどころは、後半です」

 みたいなことをおっしゃっていました。

 

 間違いねえです。私は聴きながらボロッボロ泣いていました。

 特段、梨子推しとかではないのですが。

 それだけ、物語とのリンクを含めて、素敵な曲です。

 

 考察と銘打っておきながら、思ったことを書いているだけなのは、そこはそれ。

 ちゃんと考察できるようになるまで人に見せないのでは、一向に進歩がないじゃありませんか。

 それでは、梨子の成長を感じながら、物語を追いかけながら歌詞について考えていきましょう。

 

 

 

 

私のなか流れ出した音が たくさんあるの

綺麗なだけじゃなくて でもねどこか優しい音が

新しい夢と涙 とけあったコンチェルト

 

 一行目、「流れ出した」は梨子のなかに流れ始めたという印象を持ちがちですが、漢字を解釈すると、それらは他から流出してきたという見方もできます。

 ここまでのパートは、輝きと痛み、優しさを新たに見つけた梨子が、再び音を紡いで曲を作ることができるようになったというモノローグ。

 あるいは、内浦に来た梨子がこれまで何を得てきたのか、ということを全体的にまとめて表現した部分です。

 以下、二行目と三行目に関するちょっと長ったらしい考察です。

 

 

 「流れ出した音」とは、どんな音?

 二行目と三行目は、一行目の「音」に対する補足であると考えられますが、先述の通り

 ・どういうものを受け取ってきたのか

 ・どういうものを生み出せるようになったのか

という二つの意味を読み取ることができます。

 

 「(綺麗さを含み、優しさと『でも』でつながる特徴を持つ要素)」であることに加え、「優しい」のが、今の梨子のなかに流れる音の特徴であるらしい。

 優しさと、どの様な要素を持った音なのでしょう。

 その次の行によれば、その音は「新しい夢と涙」がとけあったコンチェルトです。

 

 Aqoursにとって「夢」は「キラキラと輝く“スクールアイドル”になること!(TVアニメ『ラブライブ!サンシャイン!! 』公式サイトより)」です。

 ストーリーを遡り、「夢で夜空を照らしたい(Aqours)」の「夢」の周囲で修飾していそうな単語を探すと「約束」「祈り」「階段」「扉」に行き当たりました。

 「夢」は想いを形にしたものであり、どうやら何かを乗り越えた先で確かめるもののようだ、ということはこの段階で感じていたようです。

 また、廃校という現実を超えて輝きを求めたAqoursにとって、「夢」は、「痛み抱えながら求めるもの(Aqours『WATER BLUE NEW WORLD』より)」です。

 だからこそ、「夢」の本質を身を以て経験してきたアニメ二期12話で、Saint Snowに以前より「頼もしい」と評されることになったのでしょう。

 

 歌詞に戻ると、「綺麗なだけじゃな」いのは、この部分が三行目の「夢」を表しているからではないでしょうか。

 スクールアイドルの「夢」は何かを乗り越える力を得て力強く輝くようになるのですが、同時にその過程では痛みを伴うものなのです。

 ちなみに、梨子がスクールアイドルをはじめるきっかけとなったμ’sの「ユメノトビラ」では、意訳ですが「君」との繋がりが鍵となっています。

 誰かと共に歩むことで乗り越える力を得られるという内容は、1期11話で梨子と曜が千歌にとってのスクールアイドルの輝きとして語り合ったものと合致していました。

 

 

 それでは「夢」に対して「涙」はどうでしょうか。

 「涙」は「夢」と比べると、それがなんであるかは具体的です。痛み、辛さ、嬉しさ、そういったときに流れるもの。

 

 「涙」と言えば、という表現が適切かどうかはわかりませんが、梨子に関連して涙が重要な要素として登場するのはまず一期8話です。

 (ここでまだ直接の関わりのない鞠莉、)ルビィ、千歌の三人の流した涙が印象的で、浦の星女学院購買部のメモリアルグッズにもそれが表れている回でした。

 次いで一期12話、電話越しに曜と会話するシーン。

 これ以降、アニメ二期では曜と千歌に対する梨子のアプローチが二人を気遣うものに変わっていきます。

 顕著に表れているのが二期12話、UTXのスクリーン前で二人の前に遅れて姿を現したことでしょう。

 これら涙にまつわる経緯が梨子にもたらしたものが、歌詞二行目の「優しさ」に対応するのではないでしょうか。

 

 

 と、いう訳で。

 少々長くなってしまいましたが、冒頭の「流れ出した音」は

 ・輝きのために想い、乗り越える力

 ・それに伴う痛みと優しさ

といったものが入り混じったものだと考えられます。

 これらを梨子は経験して、自分の中に取り込んできたのですね。

 ここから後半にも登場する「音」という単語は、そうしてできあがった梨子の心そのものと思っていいでしょう。

 

 あ、ここからはもう少しサクサク進みますので、ご安心を。 

 

 

 

 

ずっとずっと眠ってたの?

心の熱い願い

目覚めてって あの日きっと呼ばれてたと気がついた

 

 「呼ばれてた」と受け身になっていることから、「眠っていた」「願い」は梨子のものであると分かります。

 一応、「呼ばれてた」は梨子の経験、そこから別の誰かに対して今度は梨子が「眠ってたの?」と呼びかけている、という様にも解釈できます。

 ここでは歌詞の流れを大切にしたいので、梨子のエピソードを追いかける形(梨子が眠ってた軸)で考えていきます。

 

 「あの日」は一期2話、「気がついた」のは一期10話のことを指しているのでしょう。

 2話で千歌がベランダで梨子をスクールアイドルに誘ったときから、千歌は梨子がピアノへの情熱を取り戻す手助けをしたい、と考えていました。

 対して梨子の心が「目覚めて」と呼ばれていたのだと気づくのは、一期10話で千歌が「ピアノコンクール、出てほしい」と語る一連のシーン。

 

 2話の時点で梨子が千歌の誘いを、その様に捉えていたかは定かではありません。

 ただ梨子は、ピアノへの気持ちを残したままスクールアイドルをはじめることを「千歌ちゃんに失礼」と考えていました。

 それに対する千歌の言葉のニュアンスは「スクールアイドルを続けて、またピアノに前向きになれたら弾けばいい」というものでした。

 そうした経緯から、スクールアイドルを続けることと、(スクールアイドルとは別に)桜内梨子としてピアノに取り組むことは、一旦切り分けて考えていたのではないでしょうか。

 だからこそ、ピアノコンクールには出場しないという決断を(迷いながらも)一度は下したのでしょう。

 

 また、「気がついた」と過去形(経験、継続のニュアンスを含むことから、英訳するなら現在完了が近いのでしょうか?)になっています。

 ちょうど気づいたという視点であれば「呼ばれてた」でいいでしょうし。リズムや尺はいくらでも調整が効くはずです。

 時系列は不明ですが、自分に対して一歩引いたところから、「気がついた」という事実を語っています。

 それを踏まえた上で、サビに突入します。

 

 

 

ひとりで向かう鍵盤だけど

感じる…ひとりじゃない

 

 「気がついた」に対して、「感じる」のははっきりと、現在の梨子の感情。

 「ひとりじゃない」といえば、もちろん(サンシャイン!!的には) Aqoursの「想いよひとつになれ」です。

 

「かけがえのない日々を(ここで)積みかさねて(ひとつひとつ)

いまさらわかった(一緒だよね) ひとりじゃない」

 

 アニメには登場しないこの部分。

 歌詞を書いたのは千歌であり、同じワードが梨子のモノローグとして用いられるのは、まさに想いがひとつになっていることの表れといえるでしょう。

 これが抽象的な心情の変化を言っているのか、具体的に1期11話のコンクールのような状況なのかは、どちらに取ることもできます。

 個人的にはここから「想いよひとつになれ」に対応している、コンクールで自分を乗り越えた時の心情なのではないかと考えています。

 二番の頭と時間の繋がりを考えるなら、控え室でメンバーと同じシュシュを見つめ、これから鍵盤に向かおうとするシーンをイメージするのがいいかもしれません。

 

 

 ここで、ちょっとした余談を。

 ラブライブ!ファンの方には、「もうひとりじゃないよ(高坂穂乃果)」を連想する方もいらっしゃるでしょう。

 こちら、「ユメノトビラ」「想いよひとつになれ」「WATER BLUE NEW WORLD」を手がけた佐伯高志氏作曲の、初のラブライブ!関連楽曲です。偶然にしては出来すぎです。まあ、問題のPianoforte Monologueは違うけど。

 あくまで印象ですが、佐伯氏作曲のラブライブ!関連楽曲には、「夢」や「繋がり」を歌詞のテーマにした曲が多いような気がします。

 ラブライブ!の曲は曲が先で詩が後に作られるようですが、これは何か意味のあることでしょうか。

 

 また、考えてみれば「夢なき夢は『夢』じゃない」といい「もう『ひとりじゃない』よ」といい、穂乃果のソロ楽曲にはサンシャインの物語で重要な意味を持つ言葉が含まれています。

 ひょっとしたら「待ってて愛のうた」は「Snow halation」のみならず「愛は太陽じゃない?」に対する曲なのでしょうか。

 あるいは、「笑顔」と「幸せ」をテーマにした曲が今後重要なポイントで出てくるのでしょうか。想像は膨らむばかりです。

 もっと言うと、海未のソロ楽曲は「私たちは未来の花」「勇気のReason」の二曲。

 サンシャイン!!二期のOPとEDは、それぞれ「未来の僕らは知ってるよ」「勇気はどこに?君の胸に!

 ……考えすぎでしょうか?

 

 閑話休題、歌詞の内容に戻りましょう。

 

 

気持ちはいつも繋がってるね

信じることができるから

なんでも恐れずやってみようと決められる

強くなれるの

 

  「なんでも恐れず~」というのは、今後の梨子のあり方を表現していると考えられます。

 後半の「ピアノなら伝えられそう」に繋がっているとも取れますね。

 その強さを得ることができるのは気持ちが繋がっているということによるので、これも「ユメノトビラ」から継続して曲中で語られてきた内容です。

 (再びちょっとした余談ですが、こういった要素はそれ以前に「No brand girls」でもチラリと触れられています。この時は、どちらかというと「自分からもっとチカラを出してよ」の方がメッセージが強かったですね。ここにも流れを感じます。)

 

 

 

ふるえるほど緊張しても 私を待つ場所へ

向かおうと 息吸ってから大きく踏み出した 

  

 これはまさに、ピアノコンクールの光景です。

 一度は失敗し、挫折したコンクールの場へ。同時に、Aqoursのメンバーは予備予選のステージへ。

 一歩一歩踏み出していく演出に、「離れていても心はひとつだ」と思わされた視聴者も多いことでしょう。

 梨子の視点では、ここで自分のピアノに対する気持ちに答えを出して、仲間とともに次のステージに立たなくてはいけない。

 ステージで失ったものは、ステージでしか取り返せないのです。この辺りは、Aqours 1st LoveLive! で計らずも体現された部分でしょう。

 「私を待つ場所」は、具体的なエピソードとして千歌は前話で梨子に対して「どこにも行かないで待ってるから」と告げているので、それに対応しています。

 

 

そっとそっとあやす様に

指先動かしたら

微笑んでアルペジオ さあ自由になれる

 

 ここまでの流れで考えるなら、これはピアノコンクールの演奏中の光景。

 であれば「あやす」対象は梨子自身です。ここまで来て、これが単に指の動きや技術の話だとは考えづらいですし。

 ピアノでなら自分の心を表現できる(これは後の歌詞に表れている)梨子なので、ここでのニュアンスは「自分に言い聞かせる」という様なものでしょうか。

 少々硬い表情からはじまった梨子の演奏。柔らかい演奏から、表情も緊張を残しつつ、和らいでいく。

 

 

 「自由になれる」というのは、幼少期に梨子がピアノを弾いているときに持っていた「羽が生えた」「キラキラになる」という感覚のこと。

 歌詞に表現されるのが「羽が生えた」方のニュアンスなのは、スクールアイドルに象徴される「輝き」に対して、ここではピアノに対する「自由になれる」気持ちを見つけたことを指しているのでしょう。

 

 また別の解釈としては、二番サビに対する前置きとして。

 メロディーを届けたい「あなた」に対する梨子の寄り添い方という考え方を提示しておきます。

 梨子がそうであった様に自分のあり方に迷いを持っている「あなた」に対して、強くなった梨子が背中を押す光景。

 これは1期8話(千歌)、11話(曜)、2期12話(梨子自身)で見られる、背中を押す役割としての梨子の姿と重なります。

 

 この三行は梨子と「あなた」のどちらに向けてのメッセージと取るかで、全体としても細かい部分でも、読み方が異なってきますね。

 例えば自分に向けているならば 

 あやす様に指先動かす

→微笑みながらアルペジオ

→自由になれる

 

という順序で緊張から心が解放されていく様子の表現なのですが、これが「あなた」に向いていると 

 あやす(目的)

→微笑んで(呼びかけ)

→指先動かしてアルペジオ(背中を押す表現)

→自由になれる(結果に対する希望、暗示)

 

と読むことができます。

 どちらにしても梨子の優しさと強さが表現されている、大好きなパートです。

 

 

 

 

あなたを音で抱きしめたいの

受けとってこの想い

 

 先ほどふた通りの解釈を示したのは、前半の解釈がこれまでの部分の一つの結びに、後半の解釈がそれを受けてここからの起点になっているからなのでした。

 弾いている曲は、自由になった自分から「あなた」へ送る曲、というわけですね。

 この「あなた」が千歌なのかどうか、ということについては私ははっきりと「そうです」と言えません。

 千歌かもしれないし、バトンのように曜へ、あるいは別の不特定の誰かへ向けたものになるのかもしれない。

 コンサート会場に駆けつけてくれた、自分を支えてくれた、母親に向けたものだったのかもしれません。

    将来的にラブライブ!サンシャイン‼︎というコンテンツが区切りを迎えた時、逢田梨香子さんと梨子の関係性の曲になっているかもしれません(サンシャイン‼︎の終わりについては、逢田さん自身も何度か言及されていますしね。)

 それら全てへの感謝の曲、励ましの曲、旅立ちの曲、そういった意味合いを持っているように感じられます。

 

 

 三たび余談ですが。

 私はこの「Pianoforte Monologue」の試聴版を試聴したとき、直感的に「ようりこだー!」と感じました。

 サビ前までが自分のこれまでを、サビで曜への励ましを歌っているように聞こえたものです。

 後から考えたことですが、理由の一つは、梨子が自分の壁を乗り越えたとき、一歩先に自分の気持ちと向き合っていた千歌に対して、曜はそれができていなかったこと。

 二つめは、最終的に二期12話で二年生三人の、13話で曜と梨子の絆が明示されるまで、この二人の関係性を示すシーンが(あれだけ一緒にいるにも関わらず)少なすぎるから。

 三つめは、先ほども話題にした通り、梨子が曜と千歌の関係性のために行動を少し改めているから。これはお節介なのですが、曜から見て千歌、梨子との溝を感じた時期があったのも間違いないことです。臆病になっていた曜を励ます梨子、という側面が二年生ズの一部にはあったのでしょう。

 フルサイズを聴いたことで、この考えは曲全体の一つの捉え方に過ぎないと思い知らされるわけですが。

 

 閑話休題。 

 さて、冒頭以来の「音」という単語です。ここでは「想い」がそのまま「音」と対応しています。

 「音」という言葉の持つ意味は冒頭と変わりませんが、それに「ありがとう」の「想い」という方向性をつけて形にしています。

 「このメロディー」がどの曲に相当するかということについては、私は「想いよひとつになれ」であると思います。

 「Pianoforte Monologue」はあくまでもモノローグ。冒頭の「音」に対応するのが「Pianoforte Monologue」で、それに方向性をつけたものが「想いよひとつになれ」なのでしょう。

 

 

 

 

ありがとうって声届けたくて

弾いてるつもり このメロディー

なんて大げさに聞こえるかな でも本当よ

忘れないでね

 

 控えめながら、強いメッセージを伝える部分。

 「ありがとう」に関するヒントを間接的にでも得るために、ラブライブ!楽曲の歌詞をいくつか挙げておきます。

 

 まずはAqoursの楽曲。まずと言いながら「WONDERFUL STORIES」ですが、「一緒にいてくれてありがとう」と序盤に歌っています。これがどうやら正解っぽいぞ。

 μ’sに移って「Music S.T.A.R.T!!」では、「素敵な出会い」「信じるチカラ」「熱いときめき」「負けない気持ち」

 この四つと「ありがとう」の間に入る補語は「に」か「を」だと思いますが、後三つは「夢」に対応するワード。「素敵な出会い」はBDに収録された二期4話で梨子が感じたものですね。

 「ミはμ’sicのミ」では、意訳ですが、積み重ねた時間という宝物を共に過ごした友達への感謝。こちらは「WONDERFUL STORIES」に繋がりそうな気配がします。

 

 CYaRon!の「P.S.の向こう側」にも用いられていますね。こちらは先人の方々が考察されているのですが、個人的な手紙の内容ですので、ここでヒントになるかは怪しいところです。割愛。

 でも、個人的には大好きな曲の一つです。この曲は聴き手にとって「ありがとう」を解き明かしていく曲だと思っているので、ここでひょいっと抽出とかできませんっていうだけです。

 

 ともかく。弾いている曲が「想いよひとつになれ」であると考えているので、ここでは「一緒にいてくれてありがとう」のニュアンスで捉えていいでしょう。

 ただ、一緒にいてくれたことの何にありがとうなのか、というヒントとして、ちょっと他の曲も気に留めておきたいかな、ということで。

 

 

 

ピアノなら伝えられそう みんなには感謝してること

だから だから何度でも弾きたい喜びの調べを

  

 この「ピアノなら」とは、本来なら感謝を別の方法でも、具体的には言葉でしょうけれども、伝えたいのでしょう。

 けれど、それができない。ならば自分にできる方法で精一杯表現しようと。

 (なぜできないのかは、最後に考察しています。)

 

 さて、アニメ二期3話での梨子のセリフに、こうした「限られた中での最善を尽くす」考え方の一端を見ることができます。

 

(ラブライブ!予備予選と学校説明会の日程が被ってしまい、4人と5人に分けてパフォーマンスをせざるを得ない、となっている状況を受けて)

 良くはない。けど、最善の策をとるしかない。

 私たちは、奇跡は起こせないもの。

 この前のラブライブ!の予選のときも、学校の統廃合のときも。

 だから、その中で一番いいと思える方法で精一杯頑張る。

 それが私たちじゃないかって、思う。

 

 これはどちらかというとネガティブなシーンで用いられた言葉でした。

 それでもやりたいことの中、できる最善を尽くそうという梨子の前向きな決意が滲む言葉でした。

 

 こうした考え方があってか、あるいは初心にかえるためか、2期12話、13話でそれぞれ「想いよひとつになれ」を、あるいはそのアレンジを演奏しています。

 一期10話で「海に還るもの」を「そんなにいい曲じゃないよ」と謙遜していた梨子ですが、梨子を象徴する曲のひとつになっているのが感慨深いですね。

 

 また、「何度でも弾きたい」は同じ曲をではなく、Aqoursなり桜内梨子としてなり、曲をもっと作ってたくさん届けたい、という気持ちの表れとも解釈できます。

 「何度でも」というのは、スクールアイドルたちにとって非常に難しい言葉です。

 当然、文字通りの「何度でも」つまり永遠はあり得ません。

 限られた期間の中で活動するスクールアイドルにとっての永遠とは、思い出であり、あるいは記録であり、語り継がれる伝説です。

 けれど、そんな今を最高にしたい、一方で、いつまでもこの時を過ごしていたい。けれど、その先に胸を高鳴らせている。

 そんな複雑な気持ちが凝縮されているのが、「何度でも弾きたい」という言葉。

 それを「喜びの調べ」と梨子が表現しているのは、スクールアイドルになってよかったと心から思えた証拠といえるでしょう。

 

 

あなたを音で抱きしめたいの

受けとってこの想い

ありがとうって声届けたくて

弾いてるつもり このメロディー

なんて大げさに聞こえるかな でも本当よ

忘れないでね

出会えて嬉しくて…本当なの忘れないでね

 

 二番サビと同じ歌詞の後、「ありがとう」の中に含まれていた気持ちに「出会えて嬉し」いというものが含まれているとわかります。

 「出会えて嬉しくて」の後には当然それに続く(あるいは代る)何かがあるはずですが、それを言葉で表現しきれない。

 ここに何もないのなら「出会えて嬉しいの」で十分ですからね。

 それを表現しきれないからこそ、(言葉にできないけれど)「ピアノなら伝えられそう」だったのだ、と考えます。

 行間に、控えめさを感じますが、はっきりとした念押しに強い気持ちを感じますね。

 

 

 で。

 これで「Pianoforte Monologue」の歌詞は一応一通りは見たことになります。

 それでは、簡単なまとめに入ります。

 

 ・梨子は経験を積んだことで、「夢」と「涙」すなわち「輝き」と「強さ」と「優しさ」を得た。

  (あるいは再発見、再認識した。)

 ・この曲はそんな梨子が歩んできた道のりとこれからの姿を、梨子の音(=心 =モノローグ)という形で表現している。

 ・この曲では伝えきれない感謝の気持ちを、精一杯のピアノで伝えようとする姿勢を見ることができる。

 

 こうしてまとめてしまうと、歌詞そのままな気が……?

 振り返ってみれば、歌詞はいたってストレートです。

 その奥に潜む感情まで言語化しきれないからこその、Pianoforte(ピアノという楽器のこと)によるモノローグ。

 音楽記号としては、「ピアノ(弱く)の後にフォルテ(強く)で演奏せよ」。

 梨子の心が全て詰まった大切な曲として、これからも聴いていきたいと思います。

 

 

 そんなところで、初めての考察記事を締めさせていただきます。

 書き慣れない長文でしたが、お読みいただいた皆様、ありがとうございます。

 またお会いすることがあれば、その時はよろしくお願いいたします。